伊藤正視社長編                 

滝浦を育てた伊藤ハムの男たち

伊藤ハムの企業イメージを変革した営業部門出の代表取締役社長/慶応商学部を卒業、サイボク農場に就職して、365日24時間苦難の修行に取り組み養豚事業を一から学んだ。伊藤ハムに入れば楽して役員になれるのに、あえて食肉生産の現場に身を投じて初心を築いた異才の人です 本人がそう言ってます

品質第一主義の事業基盤を持ち、お客様の消費信頼は製造部門の品質責任が最優先される企業風土を持っている。営業成績=商品力 事業経営責任は生産工場の品質製造者にある「営業マンが売れないのではなく、品質レベルがお客様に評価されないから」…製造加工品質戦略なしで市場から認知・判断・購買は得られない。以前どっかの政治家かが「なぜ一番でなければだめなんですか、二番ではいけないんですかと物事の進化理論を認識していない、ただの野次馬・屁理屈論者でマーケティングの世界には百害あって一利なしで、戦略策定者は半面教師認識する事例です                                      

【伝三品質三訓】①製品は本当に正直だ、気の入ってないやつ、頭が悪い奴が作ると製品がボケる。技術者は素直さ、真剣さが大切、要は精神の問題だ。②一人や二人の消費者はごまかせるが、大勢の消費者はごまかせない、本当に怖いもので原価計算の端数まで知っている。③年末のギフトに強いことは何より喜ばしい、長年のお客様の信用で培われた会社の大切な財産だ。        

「品質ありきの風土」の伊藤ハムに、バリバリ営業発想を持つ伊藤正視社長誕生の是非。

第1話 正視社長の営業部批判をしてしっぺ返しを食う

伊藤ハムの営業マンとは工場で作った伊藤ハム商品を末端のお客様にお届けするための社員であって、伊藤ハムの工場商品以外を販売する営業マンは伊藤ハム社員にあらず、関係ない商品を売ってるひまがあったらもっと伊藤ハムブランドを前面に押し出しNと戦ってこい、ばか者が…(口には出せないので心の声)そんな雑多な営業部を見ていて工場に所属する社員として自分ではそう思っていた。異常に違和感を感じていた。ある祝い事のパーティーの席上で鬱積した不満が爆発した。「この喜ばしい祝宴に、伊藤ハムの社員に似合わない営業幹部が出席している、できれば退席してほしい、そこの営業部長さん聞いてますか?」、正視社長が腕組みして目をつむり天を仰いでいる姿にも構わず、騒然とする会場で営業部批判を一節うなった、正視社長に手をすり足をする取り巻き営業部長に噛みついてるのだから、正視社長の営業体制批判に近い暴言だったろうと思う…正視社長は一言も語ることなく、無言を通して会場を後にした…心中いかほどの屈辱に耐えたのだろうか、無神経な私には想像もつかなかった。多少は言い過ぎたかなと反省したが後の祭り、あとで正視社長の非情な仕打ちが待っていた。

第2話 営業部門に異動辞令交付の張本人は正視社長 

営業部に異動、非情な人事だとK工場長、S人事部長に詰め寄り、納得できない人事だと辞令を突き返したが、無言で差し戻されギブアップ交付となる。東京のI先輩から「お前、正視さんに何かしたか」と叱られるが「別に何にもしてませんけど」ととぼける…さんざん正視社長の営業部批判をしましたなどと格好悪くて言えず、結局正視社長が営業辞令を発行した張本人と知った。生産部では悪名高い男で情報不足の決断です。不良社員の滝浦が営業に行ったら現場はひどい状況に陥り混乱する、生産部の人間なら100%だれでもそう理解している。                           

【第3話】20年間、東北営業部門に所属する。販売部、商品部、FS特販部、物流関連部署の仕事をさせてもらう、事あるごとに「滝浦君、〇〇やってください」と命令するし、「大丈夫ですか。困ったことがあったら何でも相談してください」と優しく声をかけられ、実はあれこれしかじか等と相談などできるわけもないしする気もなかった。結局アメとムチを使い分けてうまく使いこなされた感じのする年月でした。伊藤ハム営業部では正視社長は絶対権限者で誰も逆らうことができない天皇陛下、鬼より怖い人、なのに私は営業在籍20年間、周囲が不思議がるほど一度も叱られたり、大声を上げられたりしたことがなかった。営業業務で山や谷を迎える都度「頑張ってください」と激励してくれた。その飴玉を口に放り込むような言葉にのせられ、海千山千の伊藤ハム営業組織体の中で幹部として意地を通して勤め上げる。…そういう意味では入社以来、伊藤ハム一番の不良社員を使いこなした「私を育てた伊藤ハム人物伝」の主役の一人かも知れない。正視社長の人となりがわかる事柄を語り部してみたい。

【付録1】営業赴任、東北営業部の現場では不満沸騰、「工場で偉そうにしていた男がなんで俺たちのトップなんだ、営業は素人のくせに」等々、青森S所長、古川M所長、仙台I所長と3人の代理に対して、夜討ち朝駆けで説得「いまの東北営業部は伊藤ハムの社員集団と違う、俺の指導に従え、みんなで伊藤ハムの社員に立ち返り日本一の営業部を作ろう」頭の悪さでは伊藤ハムワースト1だが、チーム作り能力は伊藤ハムNo1を自負している。 代理の説得に一人1週間、一ケ月で三人の代理は心底服従し、号令一下東北6県13ヶ所の営業所全営業マンが一つに集結、東北営業部が再発足した。                                          

【付録2】営業所を巡回すると、これが伊藤ハムかと目を疑う窮地に出会う、上司であるSi部長に、「典型的な飯場事業所の集団で仕事をする以前の問題だ、社員教育の見直しに3年間猶予をくれ」と談判する。…Si部長はあっさり了解してくれた。出来てるというか無責任というか、伊藤ハム人種は本当に面白い。…私の健康管理が悪く体調を崩し、定期的に入退院を繰り返し終局的には東北営業責任者の席を後輩に譲る、せっかくついてきてくれた多くの営業部員に迷惑をかけたことを後悔先に立たずで頭を下げて回った。                                              

【付録3】営業理論武装作戦 1)社内営業理論のイロハを秋田O所長から指導受ける。2)NCチェーン商売の基本をNスーパーTバイヤーからメーカーとしての営業、商品、販売の戦略展開を学ぶ。3)リージョナルチェーン商売の基本を青森Kチェーン商品部長に教育指導を受ける。営業理論を学んだ先々は、末には流通最大手のI傘下に入っているので心中複雑な思いがしている。

【付録4】東北工場の足元に、当時は飛ぶ鳥を落とす勢いのNスーパーが進出した。伊藤ハムは地元ということで直売所を展開する。関西なら8割かた伊藤ハムで売り場が埋まるスーパーである担当のTバイヤー「伊藤さん、アドバルーンをお願いします」「冗談じゃない、お宅の店なんだからお宅で上げてください」同行した所長が一生懸命袖を引っ張る。「伊藤ハムメインの店舗だからお付き合いです」「そうならそうと早く言えよ」。オープンにはでっかいアドバルーンが3本あがって大笑いしました。

第4話 商品部長会議で無礼な礼儀作法

定例全国商品部長会議正視社長の訓示を終え、休憩時間にトイレにたち、戻って席に着いた瞬間、会議室が凍り付いていた。異様な雰囲気に頭をフル回転させこの雰囲気の主役は私にある、何だろうと模索した結果「正視社長、先程は大変失礼いたしました」滝浦君何かね「私は訓示を受けているとき腕組みしていました、無礼な態度をお詫びいたします」「そうですか、気が付けば宜しいです、腕組みは相手の話を否定する態度です。IYなら即刻処分モノですよ」                              会議後、出席していた営業本部、全国の商品部長は全員大笑いして正視さん、滝が腕組みして訓示を聞いていた姿勢をずいぶん非難していたよ、良くわかったな「異様な空気に動物的な勘であてずっぽうに言ったけど当たってホッとしましたよ」…本当に冷や汗ものでした。 

会議では腕組みは厳禁です、最低でも腕は平行に、決して交差させてはいけない。世の中のサラリーマンにこんな常識外れな人はいないでしょう。もしもいたとしたら私同様、早く気が付いて無礼な態度を慎みましょう。

第5話 Nの不祥事に神様のような正視社長のお言葉  

Nが不祥事を発生、店頭から全商品が撤去される。全市場は有事の緊急対応で伊藤ハムに商品補充を要請する。Nとのシェア競争に明け暮れる営業部隊からすれば、値千金のシェア倍増作戦を実践できる。正視社長の号令は「市場を伊藤ハム一色に染めて、シェア倍増を目指せ」ではなく、「一番つらいのはNさんです、皆さんは火事場泥棒のような真似は絶対にしないでください、した者は処分します」…うそでしょ、今ならNを潰せますこんなチャンスは二度ときません(誰もが心の中で叫んだと思う)。 

「人のうわさも七十五日」Nは復活しました。

不幸にも伊藤ハムが不祥事を起こして市場が反応しました、Nは真っ先に市場に商品を導入、一気に押しまくられる、唯一、主要企業の温情で全壊は避けられた。…それにしても伊藤ハムとNの企業風土の差は天地の差があるもんだと負け惜しみの唾を吐いた私でした。

【付録1】後日、業界の懇談会席上でN幹部が失言「うちも大変な時があった。あの時は伊藤ハムさんの弱い営業力のおかげで命拾いしたよ」(可哀そうにその場に私がいなければ気持ちよく散会出来たろうに、この人はきっとおとなしい伊藤ハムの社員しか会った事がなかったのだろう「今の言葉をもう一度、大きな声で言ってみろ、それは幹部個人としての見解か、それともNという会社としての見解か」 「失礼な伊藤さん、あんたのような常識のない人間は会合にこないでくれ」「ウルサイ業界がNの為にあるみたいなものの言い方をするな馬鹿者」伊藤伝三は業界のリーダーとして、その発展に生涯をささげた、後を継いだリーダーの率いる幹部社員がこのていたらく、これが業界の実態です。

【付録2】…伊藤ハムが東京でスーパー専門の営業事業所を展開した。当時東北工場にいた私は3ケ月限定で東京中央営業所応援に出向いた。主に三徳チェーン、オリンピックを中心に従事、三徳本店のチーフには駆け引き営業を教わり、弟さんの茗荷谷店では夜討ち朝駆け営業を教わり、オリンピック中野本店では下段大量陳列の優位性を教わりました。Nの営業マンは絶対先に納品してはいけない、伊藤ハムの陳列が終えたら空いてる場所に納品しなければならないという暗黙のルールを作りました。…グループ本部に訴えられ、東京中央営業所の藤原所長に注意され挫折する。以降はNは二人体制で営業するようになる。 私も本性は付録1のN幹部と同じで馬鹿者なのでしょう。

第6話 「物流を制する者は市場を制する」という大義で物流担当に異動

物流競争に先見の明を持つ伊藤ハムデイリーのH社長が社内の先陣を切って物流法人を立ち上げ、物流事業参入に尽力した。現在はアイエイチロジスティクスサービス(株)という伊藤ハムの出口戦略の先端に位置する立派な物流法人に進化している。物流に無知な自分には事の成り行きは興味なかったが、知人のスーパー幹部から「お前は物流担当に名前が上がっていたぞ」と言われて、初めて物流を意識するようになった。初代、伊藤ハム物流営業部長の名刺を手にしながら「人間万事塞翁が馬」を座右の銘とする私は、成り行きをどう楽しむかを考える放漫タイプなので、それはそれで楽しめばいいやと楽観していた。

営業代表の正視社長は「前線の営業部隊が物流費負担で苦労している。何とか「内製化」で物流費負担地獄から脱出させたい、そうすればNとの市場競争で優位に立てる。物流を制する者が市場を制するのだ」よくわからないけど子供心に火をつけるのがうまい人の調子に乗ってしまった。生産部出身の私は、「伊藤ハムは製造利益で経営が成り立つ会社である、営業部隊は目先の少ない利益を追求するのではなく、工場製品をたくさん売って、工場の生産性を上げて大きな利益を稼ぐという構図を理解しなければならない」と常々考えている。同じ意味で「物流費用ゼロ戦略」を武器に営業部隊がNとのシェア競争に勝ち市場を倍増したら、工場はフル稼働と設備増強で業績が倍増して伝三社長が築いた栄光の伊藤ハムが再生する。正視社長の夢と希望は理にかなっている…と子供心に感動していた。現実は厳しく、会社設立の主旨は「儲けなければならない」という高い前提が理想を駆逐する。営業部隊が物流費負担から解放されてN戦争に精進したという話は聞かれず、逆に物流会社の経営優先で「物流費アップ」という真逆の結果を招いた。この実態に正視社長の見解が聞かれることはなく、以降は物流費ゼロ戦略というツボには蓋がされ、「物流を制する者は市場を制する」は伊藤ハム社内で死語となった。

【付録1】 物流事業がスタートし、宮城のMスーパー、岩手のCVSセンターの機能開始は商談を担当する営業部隊が得意先と好循環しだした。特にMスーパーの商品部と物流窓口にいたA君の懇意は根強く正視社長が言っていた「市場を制する」という意味がよく理解できた。商品部長との深夜会食の場でお前が滝浦か、これを食え、食わなければ伊藤ハムとの関係を白紙にする常々人が食うものではないと感じている代物だったので、A君に目配せすると、両手を合わせて頭を下げている。「こんな旨いものなんぼでも食えますがな、A君よ店の在庫を全部持ってこい」結果的に大笑いになったが「俺は伊藤ハム豊橋工場のOBや」と明かされ、先輩も人が悪いと一気に仲直りして、以降、何かにつけて「たき、たき」と声をかけてくれるようになり、「物流を制する者は市場を制する」が実際のものとなった。

【付録2】 青森県のYスーパーが配送センター機能を立ち上げるために東京の大手スーパーから物流責任者が移籍赴任した。伊藤ハム物流の営業部長としては見逃せるわけもなく日参した。お互い新参者同士で意見が合い「八戸に物流物件が出たので見てほしい」と呼ばれ、現場を確認しながら理想のセンター機能を相談、「先々複数のセンターに発展させたいが伊藤ハムがついてくれたら鬼に金棒」と大いに盛り上がった。新規開拓の初仕事としては大成功と爽快な気分を味わう。…社内決済が下りず電話でお断り涙をのむ。

【付録3】 PSS(Presalessystem)担当辞令が出る。簡単に言えば商談営業と商品配送を分別しなさいということです。言うは易し行うは難しの典型的な仕事でした。「いかにお客様と縁をつなぎとめるかが成功の鍵」という信念でビジョンづくりをしている私の計画書を見て正視社長は「きれいごとはわかりました。予算はどうなりますか」を追求してくる。「この志がクリアできなきゃ予算も出ません」。と書類をしまい込んで別れた。S常務から「正視さんが滝さんが書類を渡さずにしまい込んだ、至急届けさせなさい」と言ってる。私は基本的にPSS反対論者です、セールスはお店に伺ってモノを見せながら売り買いするのが営業だと古い考えを持っている。ナショナルチェーンはそうなっているといわれるが、それとリージョナルチェーンは市場構造が異なる、味噌もくそも一緒にしてはいけないというのが私の意見。「営業マンが乗用車に乗って、書類を持ってソフトパフォーマンスで売り上げを上げる方式が理想的な営業」なんかナンセンス、何百、何千万の機械や自動車を売るわけじゃあるまいし、百円や二百円のハム・ソーセージをパンフレットだけで売れたら天地がひっくり返る、もし強行したら売り上げは2割ダウン、特に粗利益源である末端の中小店舗営業には打撃的であるが私の考え。とはいえサラリーマンは宮仕え、営業と配送を分離させ効率的に配送するために末端の小売店舗を統廃合する、東北6県の田舎や遠距離の非効率な場所がらにある小売店にやむ無く撤退の商談、居留守をつかわれながら通い続けて納得してもらう日々が続いた…こんなの本当に正しい事なのか理解が出来なかった。随分昔のことだから今はどうなっているのか知る由もない。          

【付録4】物流事業部に異動しろと辞令交付、ネアカの私はなんでも前向きに物事をとらえます。物流会社の本部は東京の豊洲にあった。T人事部長に「伊藤ハム物流の内容を確認したいので社長と常務を仙台に呼べ」。「すいませんが滝浦さんは平取ですよ社長や常務の役付役員をこちらに呼びつけるのはどんなものでしょうか」「ウルサイ俺は初代の営業部長だ、いいから呼べ東京からえらいさんが二人不満そうな顔して仙台に来た。「伊藤ハム物流の社長と常務さんとして今後どんな物流会社にしたいか聞かせてくれ」T人事部長は「滝浦さんもう少し穏やかに話をしましょうよ」、「なんで俺たちが呼びつけられるんや、物流の素人のあんたにとやかく言われる筋合いはないさすが社長さんと常務さんは鼻息が荒い。正視社長は営業部門の物流費用をゼロにしてNとの販売戦争に勝つために物流会社を作った、「物流を制する者は市場を制する」という伊藤ハム物流の大義はどうするんや「会社は儲けてなんぼの世界や、甘いこと言ってるんじゃないぞ」…あきれた水掛け論で正視社長の夢物語は現実論でかき消された。

【付録5】浦安駅前に住まいを借りて豊洲勤務、正視社長と会う、「いま伊藤ハムの物流費は250億円ですが、200億円で運営してください、できますか」「社長にやれと言われて、できませんといったことは一度もありませんがわかりました宜しくお願いしますよ」、物流費2割削減に取り組む。専属のS君が「新生伊藤ハム物流政策」を起案、同時進行で社内物流250億企業のF電気社内物流会社「F物流(株)」を訪問社内物流政策の創案チェックとその実現に教授を受ける.

物流改革業務に前途洋々も「専務が呼んでいる」、「食肉市場開発部門新設で東北地区担当に異動辞令が発令」される。いつものことだから驚きもしないが物流に夢と希望を求めたのもつかの間方向転換、宮仕えのはかなさで挫折する。…正視社長との口約束も果たせず何となく関係が途絶える

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