伊藤伝三社長編

私を育てた伊藤ハムの男たち

まえがき

私は伊藤ハム株式会社で1966年~2008年の42年間勤務しました、やることなすこと無茶苦茶で、なぜ会社はこの男を首にしないのか七不思議の一つ、代々仕えた上司はみな伊藤ハム一番のごくつぶしを首にしようとチャレンジしたが誰ひとり成功せず、結局定年まで在籍させてしまったという悪名高い社員だったらしい…自分では普通と思っていたのに?(切実で真摯な心の声 その半世紀、多くの上司、先輩、同僚、後輩が私の強く・正しく・逞しい人生感を磨き育んでくれました。同時にその面々の生きざまは伊藤ハムを日本一のハムソーセージメーカーとしての輝かしい栄光を築き上げた気骨あふれる男たちです、彼らを想い語るのはその史跡を訪ねるということです。その人間感覚を回顧し思い知ることで伊藤ハムの繁栄に同調する志が伝承されると考えます。伊藤ハム人物(人類・人種に近い)は兵庫県神戸市灘区備後町を起源として、伊藤伝三社長の力強い足取りの背中に従い追いかけ、神戸を本拠地として、大阪、関西、西日本、東京から業界トップへと押し上げに走り続けた伊藤種族です・・・。(仔細は伊藤伝三著「続け根性」昭和46年刊行産経新聞社出版を熟読して理解しその志を伝承し、伝三語録を座右の銘としてさらに進化し続ける)歴史は人なり、伊藤ハム伝説の男たちとの触れ合い物語に育まれた人生観の一節や二節を綴りうたい、伊藤ハムは不滅だと声をはり上げ、伝承ヒストリーの初代語りべになります【個人情報保護法や知的侵害行為云々は個々に問題が起きた都度に反省して見返します】

第1話 入社式での社長訓示

 ・「自分に力をつける唯一のコツがある。それは仕事を好きになることだ。つらいと思う仕事、苦しい仕事、逆境の時に逃げずに向かってこそ、自分に気が付かない本当の力がついていくものだ。仕事が面白くなればしめたもので、必ず手腕が残る」会社に都合いい内容の話だな~(素直でなかった子供心の声) 意味が分かったのは30も過ぎたいいおっさんになったころです私は大器晩成型の男なんだと痛感しました(自己満足)。 伝三語録に綴られた人生訓は社会人として生きていく指針を諭してくれています。入社式、年始訓示、成人式、盆暮れ等々、社員の誰もが険しい人生を歩むうえで節目節目を迎える都度に、ひととしての生き様を分かりやすい言葉で訓示、講話で導いてくれました。

第2話 宿直当番の熟成管理秘話

(当時はロースハムやベーコンの液漬け熟成タンクの上下左右を手動でかき混ぜ全体に均一な熟成を促す深夜作業を宿直当番が行っていました)電話の呼び鈴でたたき起こされた Q「どちら様ですか?」、A「わしや」、Q「どちらのわしやさんですか」、A「何を言うとんのや、わしや」、Q「わかりませんが」、A「あんた誰や」、Q「新入社員の滝浦ですが」、A「そうか、ご苦労さん、熟成室の温度を見てきてくれや」、Q「今ですか」、A「そうや今や」、Q「なん度でした」、A「わかった、ご苦労さんゆっくり寝~や」眠たいのになんて変な電話だろ(心の声)翌朝、工場長から呼び出しQ「夕べ社長から電話あったやろ」、A「わしやさんでしたよ」、Q「アホか社長や、お前なん度と答えたやろ」A「温度計見たらなん度でしたよ」、Q「ちゃうやろ、なん点なん度だったやろ」A「よく見えなかったですけど間違いなく何度くらいでしたよそんな小数点なんかどうでもいいと思いますけどね(心の声)・・・後々わかることですけど、熟成管理温度が小数点以下で品質が決まるなんて新入社員には理解できない世界でした。それを伝三社長は草木も眠る丑三つ時に現場品質をチェックされてました。 【私の理解度合】人はアバウトだから四捨五入で仕事をしてしまいます。温度計は1℃単位で刻まれているために小数点で仕事をするということは上限の1℃でもなく下限の0℃でもありません、微妙な熟成精度に誤差が出ないように1℃のメモリの範囲内で管理せよということを馬鹿な私に理解できるように設定された作業基準であると自己解釈しています  

第3話 1968年柏工場新設

目黒工場から柏に引っ越し、小さな木造の柏駅に降り立ってビックリ、タクシーもおらんで~これからこんな田舎に住むんかい(駅前で実際発した声) 新東京工場に最新鋭の機能システムを備えたスモークハウスが導入され「新商品ランチフルト」が生産された。工場幹部がぞろぞろ、総務課長が灰皿持ってウロウロしてる。やってきました大柄で角刈りの格好いい伝三社長の登場です。片手はポケット、片手は煙草をプカプカ(総務課長が灰皿持って社長を追いかけまわしていた理由がわかりました)加熱担当がドアを開けた瞬間、蒸気がワッと吹き出し、新商品を口にした伝三社長「うまい、これやがな」本当にうちの社長は豪快で格好ええ男やな~としばし呆然と眺めていました。

第4話 新商品の試食会議

伊藤ハムの戦略的ウインナーを全工場のカッターマン集合(私は東北工場から、西宮と九州は同期入社の仲間)で芦屋の社長自宅会議室で試食会Q「社長、全国の製造責任者が集まり新商品を造りました、ご試食お願いします」A「ええもんでけたか…一口も呑み込まずすぐ吐き出した」、「全工場のカッターマンということは、みんなが伊藤ハム全体の品質責任者かね…無言」Q「いかがでしょうか」A「こんなもん作って、あんたら伊藤ハムをつぶす気か」Q「無言」A「今日は終わりや」解散、そのあと承認を頂けたのは三回目の試食会、伝三社長「これやがな、頼むで本部長 はっはっは」、1泊2日の本社出張が4泊5日になった新商品会議でした まじめにやらんと命がなんぼあっても足らんがな(心の叫び) 【私の理解度】伊藤ハムのカッターマンは職人気質で成り立っています。3年間はカッターマンの身の回りの補助作業に終始、前後の段取りの基本動作を身に着け、先輩が造るソーセージ品質を目、耳、手指の感覚で、良し悪しの誤差を無意識で感じ取る境地に入り込めるようになって初めてカッターに触れ、ソーセージのカッティング作業を学ぶ資格を得ることができます。技能を高めるのはそれ以降で実質4~5年かかってようやく一人で伊藤ハム品質造りを任せられるようになります。…なんでも極めるということは大変なことです。           

付録① 会議前に用足しで席を外し、廊下で前掛けした女中さんに出会い「おばちゃんといれどこ?」「廊下を曲がって突き当り」、「広すぎてわからんよ、サンキュー」…ここまでは普通の会話会議が始まりました「あれえ」、隣に聞きました「なんで社長の横に女中さん座ってるの?」、「アホ、キヌエ相談役やろ」、「俺、女中だと思っておばちゃんと言ってしまったよ」、「知らんがな、お前クビやな」…どうしょうもないなあ(同じ目にあって泣いた男がいたらしい、偶然かもしれないけど私は泣かずにすんだ)         

付録②山形県鶴岡市に東北ハムというハムソーセージメーカーがございます。初めて会社にお伺いさせていただいたとき「わあ~目黒工場のにおいがする」とビックリしました。創設者のお一人にOさんがおられました(昨年不幸にもご逝去)。この方は伊藤ハム発祥の地、神戸の備後町で伊藤伝三社長の下でハムソーセージ製造に従事されていました。お伺いすると私はO先輩と呼ばせていただき、O先輩は滝浦君と声をかけていただき、いつも楽しそうに昔話の講和を受けます。その中での感激講和です「冬、みんな寒そうに仕事をしている姿を見て、伝三社長の奥様が夜なべをして手編みの青いセーターを作ってくれたんだ、みんなお揃いのセーターを着て、一所懸命働いたもんだよ」昔を思い出し、嬉しそうな顔で私に語り掛けるO先輩、こんなあったかい話を聞いたら、誰でも伊藤ハムファンになっちゃいますよね。 

第5話 お礼参り

・ 定年退職後、家内を連れて伝三社長の墓参りに行きました。芦屋市霊園は広すぎてわからない、案内所で伊藤家の墓、伊藤伝三の墓と聞いてもわかりませんとつれない応対、誰それに電話して「一体、社長のお墓はどこや」と聞いたら、「案内所で伊藤ハムの社長のお墓と聞けばわかりますよ」と教えてくれた。案内所も「伊藤ハムさんと言ってくれたら良かったのに」・・・ふざけるなよまじめに仕事しろ(心の声) 霊園の一番頂上まで歩き、一番手前にでかいお墓がありました、眼下に芦屋か神戸か知らんけど絶景な場所でした。 合掌・・・アホな私を扶養家族として家族ともども無事に育てていただき定年を迎えました。長いことお世話になり有難うございました。本当の気持ちでしたよ。 隣のお墓に中内功と記名のお墓がありました。もしかして亡くなってもお友達ですか・・・合掌。

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